『港のヨーイチ詩人でヨコハマ』
オレのおばあちゃんが横浜生まれだったこともあり、母方のお墓は横浜にある。
物心ついた頃からお墓参りに行っていて、帰りには“お清め的”に中華街で食事するのが恒例だった。なので『横浜』で脳内検索すると、最初にヒットする思い出は<お墓参り~中華街>である。
横浜で次にヒットする思い出は、<ホテル籠り作詞atヨコハマ>だ。2002年にHEESEY WITH DUDESとしてアルバム制作した。ベーシストのオレが初めて全曲作詞&作曲&編曲しヴォーカルまで自分で担当したのだ。曲は全曲仕上がったが、慣れない作詞作業に苦しんでたので、「環境を変えて2,3日間籠って作業しよう!」と、横浜の“港が見える某有名ホテル”にちょいと贅沢してひとりぼっちで籠った。売れっ子小説家気取り?(笑)
楽器やらラジカセやらお酒やらいろいろと車で持ち込んでスタンバイしたが、部屋の窓からの絶景やホテル周辺の“初体験な横浜”の雰囲気にメロメロに惹かれ、環境の変化にワクワクし過ぎて最初は作詞どころじゃなかったな。
近くのショッピングモールにブラっと買い物に行っちゃったり、小洒落たカフェで寛いじゃったり、港を散策したりと、何だかとても胸が高鳴り心が躍った。
さすがにそれだけじゃ「何しに横浜まで来たんじゃい?」ってカンジだから、夕食後から深夜~明け方までは、お酒をちょいちょい注入したりしてリラックスしつつ作詞に没頭。昼と夜のメリハリが良かったのか、結果的には未完成だった歌詞が数曲仕上がり、更にはこの体験がなかったら書けなかった『ベイサイド・メランコリー』っていう歌詞まで完成した。
何度か体験した海外レコーディングほどの異国感はないものの、港町・横浜で<身近な異国感>を味わえたことが功を奏したのだ。あの横浜滞在は大収穫だった。近くの霊園で眠る母方の祖父母もきっと応援してくれたんだろうな。
そんなわけで今でも時々ソロライヴでプレイするあの当時の曲の歌詞も、オレ自身に流れている愛おしい血の一部も、MADE IN YOKOHAMAだ。